2024年4月21日日曜日

2024.4.21 本日の宣教

 『 聖霊に助けられて祈る 』          

               エフェソの信徒への手紙6章18節

使徒パウロは、神の国の福音の働きを妨げる悪魔の策略を見抜きながら、クリスチャンと教会に向けて「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」と命じています。続けてパウロは、「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするもの」であることを強調しています。先週の礼拝後「祈りのちから」という映画でも大切に扱っていた主題が「霊的戦い」ということでしたね。

そこでパウロは、霊的な戦いにおいてしっかりと身につけるべき武具として「真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の履物、信仰の盾、救いの兜、聖霊である御言葉の剣」を挙げています。

しかしパウロは、神の武具を述べるだけでなく、「聖霊に助けられる祈り」を付け加えています。その理由は、いかに強く素晴らしい武具を身に着け武装しても、勝利を与えるのは神であるということ、だから、祈りによる神との親密な交わりがなければ、霊的な戦いで敗北せざるを得なくなることを示しているのです。その通り、祈りとは神と繋がるホットラインのようなものです。その祈りのホットラインが切れてしまったら、神からの御心を受け取ることができず、悪魔サタンに振り回されてしまうことになるからです。

「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(18節)…はっきり言いますと、祈らないクリスチャンは勝利することができません。また、祈らない教会は復興、リバイバルを経験することができないのです。だから祈りに励むことです。

ここで「どのような時にも」とは、時を選ばず祈りなさいという意味です。問題が生じてから祈るのでも、困難に直面してから祈り始めるのでもありません。平穏な時にも賛美と感謝で祈りを満たすべきです。困難な時には何も心配せず、必要なことを神に知らせるべきです。神と常に繋がっていれば、どんな状況に遭遇しても慌てたり落胆したりする必要がありません。神との緊密な祈りが続けば、突然の困難に直面しても心配する必要はありません。絶えず祈ることで、問題解決の力を得ることができるからです。

続けてパウロは、「霊に助けられて祈る」ようにと勧めます。他の宗教を信じる人たちにも祈りがあります。しかし、彼らの祈りは御利益だけを求める祈りであり、焦点はいつも自分自身に向けられています。 しかし、私たちの祈りの焦点は神です。常に神の御心と御業を考え、神が喜ばれることを求めるのです。これが「霊に助けられて祈る」人の姿です。そうです。聖霊こそが私たちの祈りを真の祈りにしてくださり、私たちの祈りが神に受け入れられるにふさわしいように導いてくださいます。ですから、聖霊の中で祈るときに確信と大胆さを得ることができます。それにより、霊的戦いに勝利する力強い祈りを経験することができるのです。ハレルヤ!



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