2023年9月27日水曜日

2023.9.17 牧師室便り

  ~ 目を覚まして! ~

先週、使徒パウロの晩年を描いた映画を見ました。その映画の中には、ローマ帝国時代、キリスト教会が被っていた厳しい迫害の様子、またパウロが捕らわれていた牢屋の状況、そして斬首刑など、重苦しい雰囲気が続いていました。人によっては、映画の残虐さや初代教会の迫害、殉教などの悲惨な映像に対して、目を閉じたくなる方、記憶から忘れてしまいたいと思う方もいるでしょう。

 以前、私の母も主イエスの受難を描いた「パッション」という映画で十字架の残忍さに衝撃を受け、まともに目をあけることもできず、涙のひと時を過ごしていたことを覚えています。

 この世の八百万の神々を信じる日本社会においては、神々を信じて平和に暮らし、良いこと、祝福だけが訪れるという「御利益的」なことを期待し、そのような教えを好み望むでしょう。しかし、キリスト教では(聖書では)、苦難を信仰生活における付き物だと教え、かえって苦難を恵みだと教えます。「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。(フィリピ1:29)…さらに十字架を愛するようにと勧めています。

その一方で、あるキリスト者との対話の中で、その方から「早く終末が来なければならないのに、平和のメッセージをしたり、地球環境を守るために働きかけたりすることはもうやめてほしい」という声を聞きました。私は驚きながら、「それはどういうことですか?」と質問したところ、その方は、「この世の罪悪による混乱が極限状態に陥ることでイエス様が再臨されるので、世界が平和になったり、自然環境がよくなったりすることは好ましくない!」というものでした。

 最近、アフリカのモロッコやリビアで大地震と大洪水が起こり、たくさんの人が犠牲になりました。そして戦争は終わりそうにない。またこの冬、どのような伝染病が流行るか気になる日々を過ごしている私たちです。このような現実を前にして、漠然とした平和や幸せでもなく、過激な終末論に振り回されることでもない、主イエスが言われたように「目を覚まして聖霊に聞く」ことを心がけて歩みたいものです。

シャローム!



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