2023年7月17日月曜日

2023.7.16 本日の宣教

 『 交わりを広げよう 』  

                                                                             ヨハネの手紙一 1章1~4節

私たちは時々、「この教会は家族的な交わりが豊かだ」とか、「この教会は交わりがあまりなく、新来者に対して冷たい」などの言葉を耳にすることがあります。それほど、交わりはその教会を定義する事柄として使われています。しかし、実際に私たちが使っている「交わり」という言葉と、聖書が語る「交わり」には大きな違いがあることも事実です。

本日、ヨハネが伝えようとしている「交わり」は、「コイノニア」の訳で、もともとコイノニアの基本概念は、“物を共有する”とか、“共同、分担する”ということです。そして、本文の中でヨハネが伝えようとしたコイノニアは、“キリスト者個人と神との縦の交わりと、信徒間の横の交わり”の両方を指しています。この二つの交わりこそがキリスト者と教会共同体に喜びをもたらすのです。…「わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(1:3~4)」

つまり、教会共同体の交わりは、御父と御子との交わりであり、御父と御子→伝える者→聞く者という三角形の構造を成していることが分かります。信徒の「コイノニア」(交わり)は、主イエスの受肉と十字架、復活という福音を信じる信仰によって救いにあずかり、主イエスとの親密な交わりを持つことによって完成されるのです。他の聖書箇所では、「コイノニア」は「キリストの血と体にあずかること」(一コリント10:16)とか、「キリストの復活と苦しみにあずかること」(フィリピ3:10)とも訳されています。このことから、単なる交わりや親しい関係を超えた強い一致や非常に強いキリストとの結びつきを表していることが分かります。つまり、真のコイノニアこそが「キリストの命にあずかること」であり、キリストの命を共有し、共にキリストの命に生かされつつ、喜びと感動に満ち溢れることなのです。言い換えれば、一般的に「交わり」と言われているような、「一緒にお茶を飲んだり、楽しく交流したりするような時間や雰囲気」を指すことではないということです。

さらにヨハネは、この手紙を書く目的として、その交わりによって「わたしたちの喜びが満ち溢れるようになるため」だと伝えます(4節)。つまり、ヨハネは自分自身の喜びが相手にとっても喜びとなり、その喜ぶ姿を通じて喜びがさらに広がることを期待していることがうかがえます。ここにこそ、証人としての教会共同体が伝道する中で得る喜びの広がりが見えてくるのです。…主イエスの十字架と復活の福音をいただき救われた者の喜びが、その人一人だけで止まってしまうことは御心ではありません。救われた喜びはさらに周りの人へと広がり、その喜びもますます満ち溢れるようになることを主イエスは望んでおられますし、私たちもそのことのゆえに喜びを大きくしていくことを心がけたいものです。ハレルヤ!


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