『 先を進み、しんがりを守る神 』(イザヤ52:11~12)
預言者イザヤは、70年もバビロンで捕虜生活していたイスラエルの民らに、いよいよエルサレムに帰る日が来たことを告げます。しかし、多くのイスラエル人たちは、バビロンでの生活に慣れてしまい、エルサレムに戻るための準備など、様々な不安に包まれていました。イザヤは、そのような民に向け、「先を進むのも、しんがりを守るのも神なんだ!」という慰めのメッセージを語ります。
私たちが団体で山登りをする時、二人のリーダーが必要です。一人は先頭を歩くリーダーで、もう一人はしんがりのリーダーです。先頭を歩くリーダーがいかにうまくリードしても、メンバーの中には健康の差、年齢の差、呼吸の差などが原因で、遅れてしまう人が出てきます。その時、しんがりのリーダーは遅れる人を待ってあげたり、少し喉を潤したり、声をかけたり、どうしても荷物が重すぎる時は、しんがりのリーダーがその人の荷持を持ってあげたりしながら、その人が無事山登りができるように助けます。誰も、しんがりのリーダーより後を歩くことはできませんし、そんなことはありえません。 当然、頂上に最後に着くのはしんがりのリーダーです。もちろん、山から降りる時も、登る時と同じく先頭のリーダー、しんがりのリーダーが立ちます。そして、先頭のリーダーとしんがりのリーダーの間を皆は歩くことになるのです。
その通り、聖書が教える神は、常に私たちの先を進んでくださり、行く道を備えてくださり、また新しい方向へと導いてくださるお方です。だから私たちは、先を進まれる神を信頼し、平和に満ちた人生の歩みができるわけです。
同時に、その神が、私たちの「しんがり」を守られると教えています。「しんがり」という言葉は、最近はあまり使わない言葉で、「一番後ろ、最後」という意味をもっています。すなわち、「父なる神は、前を先に進まれ導かれるだけでなく、後ろをも守り、後ろから攻めてくるいかなる敵の攻撃からも守ってくださるお方」なのです。また、「しんがり」と訳されているヘブライ語には、「集める」という意味もあり、「散らかしたものを拾い集め、後始末をする」という意味もあります。
新しい年を始めようとしている今、過ぎ去った一年を振り返ってみましょう。皆さんの生活において、後始末をしてもらわなければならないほどの、やり残したことが散在していませんか。その中には、いろんな間違いも、失敗もあったはずです。しかし聖書は、それらのものを神がご存じであって、後始末をして下さると言われているのです。
ぜひ、前方に見える旅路が激しく見え、大変そうに見えても、主イエスが先を歩まれながら新しい道を作ってくださることを信じ、霊的な目をもって見つめましょう。また、私たちの後ろに残してしまったことや、後ろから迫ってきている敵のことなどは、しんがりを守られる神を信頼し、大胆に歩み続ける神の家族でありますように…。そうする内に、2023年の旅路が終わる時には、感謝と喜びの新しい歌を神にささげることができるでしょう。ハレルヤ!
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