2022年7月14日木曜日

2022.7.10 本日の宣教

 『 主が望まれる教会④ 』:ティアティラ教会② (ヨハネ黙示録 2:24~29)

   ~今持っているものを固く守れ~                                         

アメリカの有名な霊性神学者であり、作家であるリチャード・フォスター牧師が書いた本の中に「金、セックス、権力」という本があります。彼はその本の中で、人間社会を動かす最も影響力のあるものが三つあると語ります。それが「お金、セックス、権力」というものです。たとえ、ある人が悪人であっても、その人が金持ちであって、性的な魅力があり、権力をもっているのであれば、この世から認められ、崇められることになるということでした。そこで、リチャード・フォスター牧師は、この三つのものが教会の中にも入り込み力を振るっているのが現代のキリスト教会であると言っています。

本日、分かち合うティアティラ教会も、「イゼベル」という、預言者を自称している女を受け入れてしまったがために大きな混乱に陥ることになります(20節)。イゼベルは、旧約聖書でアハブ王の妻として、神の民イスラエルを偶像のバアル崇拝へと導き、神の預言者たちを殺し、ヤハウェ信仰を崩していた女のことです。同じように、ティアティラ教会にも、にせ預言者イゼベルが敬虔な信仰者のふりをしながら入り込み、教会の信徒たちを惑わしていたのです。彼女は、信徒たちを誤りに導き、性的不品行を行わせ、偶像に献げられた物を食べさせていたのです。しかし、ティアティラ教会の信徒たちは彼女のなすがままにさせてしまったのです。確かにティアティラ教会の信徒たちは主イエスから、「行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を認められ、彼らの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることを称賛される(2:19)」ほど、信仰の面においてはますます成長していく姿を見せていた教会でした。

しかし、ティアティラ教会の信徒たちの中には、イゼベルから影響を受けていた人たちがいて、イゼベルの悪事を大目に見て許し、彼らもイゼベルの影響を受けキリスト者としての聖さを失い、信仰の妥協をしてしまうことになります。そこで、主イエスは、イゼベルに悔い改めの機会を与えられますが、彼女は悔い改めを拒み、彼女に従う者らと共に、ますます淫らな行いに走ってしまったことを告発されます。…ここで確かめるべきことがあります。それは、私たちの問題は罪を犯すことより、犯した後の対処が大切であるということでしょう。この世に誰も完全な人はいません。誰でも罪を犯すことがあります。すなわち主イエスは私たちの弱さをよくご存じで、悔い改めの機会を与えられるのです。しかし、イゼベルは神の前に立ち返ることはありませんでした(21節)。そこで待ち受けているのは、裁きです。主イエスは彼らに「ひどい苦しみに遭わせ、一人一人の行いに応じて報われる(22~23節)」と宣言されます。

そして最後に、イゼベルに従わず、信仰の聖さを守っていたティアティラ教会の信徒たちに主イエスが命じられる御言葉、「わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ。(25節)」…。愛する神の家族の皆さん、今私たちが生きている時代は、日に日に世俗的になり、反キリスト教的に変わっています。まさしく神に対して真正面から戦いを挑むような時代ではないでしょうか。このような時代に求められるキリストの教会のあるべき姿こそ、福音の御言葉をしっかり持ち、この世の様々なイゼベルの誘惑から、聖なる者として御言葉を固く守って生きることです。主イエスは、御言葉をしっかり持ち、勝利する者に「明けの明星」をくださると約束してくださいます。ハレルヤ!


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