2022年5月1日日曜日

2022.4.17 本日の宣教

『 復活、この小さな者にも 』(Ⅰコリントの信徒への手紙15:1~11)

主イエス・キリストの復活、おめでとうございます!!!死を打ち破り、聖書の約束通りよみがえられ、永遠に生きる道を開いてくださった主イエスの大いなる祝福が神の家族お一人お一人の上に豊かに注がれることを祈ります。

この世の人の中に「死」を恐れない人がいるでしょうか。そのため、人は昔から死なないことを探し求め、絶えず永遠に生きることを願ってきましたし、今もなお、人は死の問題を解決しようとあらゆる努力を尽くしています。それでも、死の問題を解決することはできませんでした。死の問題を解決する道は、復活の福音の他にはありません。

さて、Ⅰコリント15章は「復活の章」と呼ばれる有名なところです。パウロがコリント教会への手紙を書いていた当時のギリシャ世界のエピクロス派では、「私たちは生きているときは死んでいないのであるから死について考える必要はなく、死んでしまってからはすでに私たちは存在していないのであるから死について考えることはできない。」と伝えていました。ある面、一理あるような言葉だと思うかもしれませんが、しかしこのような教えこそ、死を考えることの恐れから、逃げるため、死を忘れるために作り出した「言葉遊び」のようなものに過ぎませんでした。

そこでパウロは、復活の確かさについていくつかの証拠をもって語ります。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、…」(15:3-4)。とりわけパウロは、その復活のことを、「最も大切なこと」だとしながら、「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」、すなわち、旧約聖書の預言が成就された歴史的事実であると宣言します。

パウロは、さらに主イエスが復活されたことには、数多くの証人たちが存在していることから、確かな歴史的事実であることを証言しているのです。ケファ(ペトロ)と12弟子、500人以上もの兄弟たち、そして、パウロ自身を復活の証人として挙げています。しかも、これらの証人として挙げていた人々の内、まだ大部分は今なお生き残っているという言葉を通して、パウロの証言が確実であるということの証拠として用いられています。その中でも、パウロ自身が復活の主に出会ったことを証しながら、自らを神の恵みの前に低くしていることが分かります。「月足らずで生まれたようなわたし」、「使徒たちの中でもいちばん小さな者」、「使徒と呼ばれる値打ちのない者」という表現をもって、自分が救われ永遠の命を得たことこそ、全き恵みであるということを証しします。そうです。復活のイエスに出会った人のもつ姿勢としては、一方的な神の愛と恵みの前にへりくだるしかありません。なぜならば、そうすることで、神の恵みがひときわ輝くことになるからです。復活の主イエスは、ご自身に敵対し、主の教会を迫害していたパウロに現れ、彼を復活の証人に変えてくださった。パウロにとってこれ以上の恵み、奇跡はありませんでした。復活の主イエスは、今もこの恵みに生きる者として、世の最も小さな者、値打ちのない者と告白する人を訪ねておられるでしょう。    ハレルヤ!


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