~ 主イエスの足元に近づく ~
十字架処刑を前にしておられた主イエスにとって、唯一とも言えるような安らぎと喜びの出来事とすれば、ペタニアのマリアが主イエスの頭から両足に香油を注いだことでしょう。「ベタニアのマリア」…。聖書の中で数回紹介されている彼女の姿には一つの特徴があることに気づきます。それは、彼女がいつも主イエスの近く、特に足元に座っているということです。
あの有名なマルタとマリアの話の時を見ると、マリアは忙しく動き回っているマルタとは違って、主イエスの足元に座って御言葉を聞いていたことが分かります。また、愛するラザロお兄さんが死んだ時、主イエスの足元にひれ伏して泣きながら癒しを乞い求めていた姿も覚えています。そして、最後に、主イエスの頭から両足に香油を注いでから、その足に口付けし、自分の長い髪の毛で主イエスの足をぬぐっている姿がとても印象深く描かれています。すなわち、ベタニアのマリアは、主イエスとの関係において足元が固定席であったのです。お姉さんのマルタから妬まれることがあっても、また、弟子たちから叱られるような声を聞いても、周りの誰から何を言われようと、主イエスの足元に近づき、御言葉に耳を傾けることを諦めることはありませんでした。そして聖書は、マリアが主イエスの足元に近づき、御言葉をいただき、高価な香油を注ぐことができた理由を「愛のゆえ」であったと教えます。
マリアの主イエスに対する愛が、十字架による救いの御業に協力することにまで至たらせたわけです。
「彼女はわたしに良いことをしてくれたのだ」 とされ、「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」と、さらに、「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」という、主イエスからの称賛の御言葉の主人公にもなれたのです(マルコ14:3~9)。
コロナ・パンデミックによって主日礼拝にも、平日の諸集会にも、普段の生活における祈りの場にも積極的に近づくことが難しく思われている近頃、神の家族の皆さんの主イエスに対する愛を、何をもって現すことができるでしょうか。マリアのように主イエスの足元に近づき、愛を表す神の家族でありますように…。シャローム!
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