2022年3月30日水曜日

2022.2.6 牧師室便り

 ~ みなしごの父となる神

「みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です(ヤコブの手紙1:27)。」

 2022年に入り、もう一か月が経ちましたが、世界情勢は一向に良くなる気配が見えません。コロナ時代がいつまで続くのかも予測できず、自然災害は日に日に厳しくなっている状況です。特に、東日本大震災を経験し、現在も富士山噴火や関東大地震が噂されている日本の民にとって落ち着かない近頃であります。

 しかし、いろいろな災難が起きると、真っ先に苦しむ人々は社会的弱者たちであることを忘れてはなりません。人は誰であっても、自分の身に何か起きると、まず自分の身の周りを守ろうとし、家族のことを優先することになります。これは当然のことですし、誰もその選択を非難することはできないでしょう。

それでは、キリスト者としての私たちに求められる父なる神の御心はいかがでしょうか。詩編68編の詩人は、“神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり、やもめの訴えを取り上げてくださる(詩編68:6)。”と語ります。私たちの神について、「みなしごの父となり、やもめの訴えに答えてくださるお方」だと教えてくれるのです。とりわけ社会的試練の時にはなおさら、父なる神の御目が向かわれるところこそ、社会的弱者の方にあることを覚えましょう。

主の再臨が近い終末の時を過ごしているキリスト教会と神の民に向けられる主イエスの御声を聞くために耳を傾けることです。常に主が語られる御声を聞くために、霊的なアンテナを立てておく必要があるでしょう。ぜひ、ヤコブの言葉通り、小泉町教会の神の家族一人一人が、父なる神の御前に清く汚れのない信心を確かめつつ、神に喜ばれる日々を歩みますように。シャローム!


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