『 すべては神の恵み 』 (士師記7:1~9)
私たちキリスト者にいつも迫ってくる父なる神の御言葉があります。それは“恐れるな!”という御声です。天と地を造られた神が私たちと共におられる、御子イエス・キリストを十字架につけて死なせてまで私たちを愛してくださる父なる神が今も生きて働かれ力を賜る!…だから恐れるな!というのです。
今日の御言葉に登場するギデオンはもとも弱虫で、臆病な人でした。しかし、神は彼を士師として選ばれイスラエルの民をミディアン軍から救い出す使命を与えられたのです。そして神は、神の民の戦い方について教えられます。
本文の御言葉によると、イスラエルに攻めてきたミディアン軍の数は何と13万5千人、それに比べてイスラエル軍は、まともに訓練も受けてない3万2千人、ミディアン軍の4分の1にも及びませんでした。ところが、それほど厳しい状況であるのに、納得のいかない驚きの命令が出されます。“あなたの率いる民は多すぎるから、それを少なくしなさい!”という。その結果、1万人しか残らなくなりましたが、神は「民はまだ多すぎる。もっと減らしなさい」と言われます。
兵士の数が多いほど、勝算が大きいと思うのが当然なのに、神はなぜこのように語られるのか。その理由が2節に書かれてあります。「もしこのまま勝利をイスラエルに与えたとしたら、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったというであろう。」
つまり、3万2千人、いや1万人でも、何とか頑張れば勝ち目がないわけではないと人々が考え、もしそれで勝った場合には、神の力と助けではなく自分たちの力で勝利したと勘違いしてしまうというのです。主なる神はそれを良くご存知の上でこの命令を下されたのです。
その結果、最後に残った兵士が300人。300人で13万5千人のミディアン軍と戦うとは、まさに自殺行為とさえ見えます。すなわち、勝ち目は全く消えてしまったのです。その時、300人の内に芽生えてくるのが、徹底した神への信頼でありました。ギデオンと300人の兵士たちは、彼らの戦いが主の戦いであることを信じ、神の命令に従うことにあることを決断したわけです。そうです。神の民の戦いの勝利は数の多さによるのでなく、すべてを支配し治めておられる神に拠り頼む信仰と従順にあるのです。聖書はそのことをモーセを通して、ヨシュアを通して、ダビデを通して、ヨシャファテを通して示されました。
そして、主が300人の兵士を選ばれる基準を忘れてはなりません。その1つ目が、“戦争を恐れる人々を家に帰しなさい”ということであって、2つ目が“水を飲む時の姿勢”でありました。すなわち、その人の普段の生活を見ておられるということです。いつも目を覚ましている人を主は選ばれるということなのです。
もちろん主なる神は、お一人だけでも戦争に勝利されるお方です。しかし、主は、信仰による勝利を神の民に経験させ、すべては主の御手にあると信じ、主だけを信じて戦う主の勇士として、また、他の民らに主の勝利を伝える証人として生きることを望んでおられることを心がけましょう。
新型コロナウイルスという強力な敵を前にした民らに、主なる神は、「戦いは主のもの、すべては神の恵み」であるという証しを求められるでしょう。願わくは、時代を見極めつつ、日々、目を覚まして生活できる神の家族でありますように…。
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