2020年9月23日水曜日

2020.9.6 本日の宣教

 『私たちの信仰告白』~裁きの主が来られる~ (Ⅱコリント5:810)

 使徒信条は父なる神、御子主イエス・キリスト、聖霊なる神についての信仰告白です。そして本日は、第二項御子主イエス・キリストについての告白の締めくくりとなります。

今まで私たちは、イエス様の受肉、苦難、十字架の死と復活、昇天、そして神の右に座しておられるということまで学びました。そして本日、「そこから来て、生きている者と死んでいる者とを裁かれます」というイエス・キリストの再臨と裁きの告白について分かち合いたいと願います。

まず、「そこから」とはどこを指すのでしょうか。言うまでもなく、「天の御国、全能なる神の右」から!という意味です。主イエスは天と地を造られた神として、もともと天の御国、父なる神の右におられました。そこから、父なる神の御計画に従い、人として地上に来られたのです。「そこから」初めてこの世に来られたのがクリスマス、「受肉」の出来事でした。そして、主イエスが約束された通り、再び「そこから」この地上に来られるのが「再臨」なのです。

それでは、主イエスはなぜ、再びこの地上に来られるのでしょうか。それこそ「裁くため」なのです。使徒信条は、主イエスに裁かれるべき対象は、「生きている者と死んでいる者」だと宣言します。すなわち、この世界のすべての人々、それは今生きている人に限らず、すでに死んで葬られた人々までも裁きの対象となるということです。

わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。(Ⅱコリント5:10

主イエスが初めてこの世に来られた時には、裁きのためでなく「救いのために」来られたと聖書は教えます。

神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3:17)・・・しかし、再び来られる再臨の時には、神の正義によって裁かれることが約束されているのです。

主イエスは私たち人類の罪の代価としてご自分が十字架刑という、最も重い刑罰を受けられ、命を捨ててくださいました。すなわち、主イエスの十字架は究極の愛と究極の正義が成就された印となりました。

それでは、私たちはどうすれば主イエスの再臨に備えられるでしょうか。その答えは本日与えられている御言葉にあります。「だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。」(10節)  

いつ、どこで、何をしていてもいつも「主に喜ばれる者でありたい」という願いをもって、御言葉に従順に生きる姿こそ、主の再臨を迎える人の姿なのです。いつも私たちの唇から、初代教会の信徒たちのように、「アーメン、マラナ・タ、主イエスよ、来てください」という告白が離れないようにしましょう。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿