『 聖霊によらなければ 』 (使徒言行録2:36~42)
ペンテコステ、おめでとうございます!!!
ペンテコステ(聖霊降臨日)は、主イエスが復活されたイースターから 50日目に、弟子たちの上に約束された聖霊が降られ、最初の教会が誕生した喜ばしき日です。もともと、ユダヤ教では過ぎ越しの祭りから50日目に小麦を収穫できたことを祝う祭があり、この50を指すギリシャ語のペンテコステという名前で呼ばれるようになりました。
ペンテコステの聖霊降臨から2000年の歴史を通して聖霊なる神は、神の教会と民の上に限りなく臨まれ、時に適った変革をもたらされました。そして、聖霊は今も変わらない命と力、恵みによって教会と神の民を新たにされ、導かれています。そうです。教会とクリスチャンにとって、ペンテコステは命であり、力、希望の日です。生きておられる神が聖霊を通して神の民に今も変わらず働きかけてくださり、私たちをイエス・キリストの証人として新しく造り変え、神の国のために用いてくださるという確かな約束から来る希望です。
聖霊が登場される聖書箇所を見ると、多くの場面で聖霊は汚れているものを聖められ、死んだものを甦らせ、個人や共同体を新しくされることが描かれています。しかし、これらの聖書箇所には一つの前提があります。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、…聖霊によらなければ、…」という前提です。主イエスもそのことを繰り返し言われたのです。そうです。ただ人が望んだからといって聖霊が働かれるわけではありません。すべては聖霊のご意志と聖霊の主導権によってなされるのです。
使徒言行録が描いている弟子たちは、主イエスの十字架を前にして逃げてしまい、主イエスが死より復活され、彼らの目の前に現れても、恐れと弱さのゆえに引きこもっていました。しかし、彼らの上に聖霊が降られたことで、全く新しい人に変えられていきます。昨日までの弟子たちを覆っていた恐れと弱さは消え去り、死をも恐れることのないキリストの証人として新しく生まれ変わることになったのです。…“聖霊によらなければ”キリスト者は何もできません。いかに素晴らしい賜物を持っている人であっても、聖霊によらなければ、すべては無駄なことになります。それでは、どんな人のところに聖霊が降られるのでしょうか。本日の御言葉で使徒ペトロがはっきりとその道を教えてくれます。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(38節)…聖霊は自分の罪を悔い改め、イエス・キリストによってバプテスマを受ける人のうちに降って来られます。そして、聖霊はその人の全人格における新しい創造を始められるのです。聖霊によってその人は今まで味わったことのない恵みと交わりに入ることが許されるのです。そして、その人が今まで大切にしてきたこの世における価値観、生き方といった壁を打ち破って新たな道へと導かれることになります。とりわけ新型コロナウイルスの時代を生きる者に求められる姿ではないでしょうか。
今年は小泉町教会宣教開始60周年を記念すべき年です。教会の誕生日であるペンテコステを迎え、これからの新しい小泉町教会の歴史が「聖霊による、聖霊に満たされた」歩みとなるように、神の家族お一人お一人が救われた感動を新たにしつつ、福音伝道に励んでいきたいものです。ハレルヤ!
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