2020年5月11日月曜日

2020.4.19 本日の宣教


『 愛から始まる 』 (ヨハネ福音書21:15~17) 

 先週私たちは以前とは違う形でのイースター礼拝の恵みに与ることができました。顔と顔を合わせ喜び合うことはできませんでしたが、映像を通じて聖霊による一致を体験することができたひと時でした。新型コロナウイルスの恐怖が日に日に増している日本の現状ですが、復活の福音を信じているがために喜び祝えました。

私たちの信じている福音こそ、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架の上で命をかけて贖い、死んでくださったことと、死を打ち破り復活なさったことを信じる者は救われ、永遠の命が約束されていることです。そして復活された主イエスは今も生きて共におられることのゆえに私たちは勝利者として歩むことができるのです。

 さて、復活された主イエスについての物語はいろいろとありますが、私の心に最も強い印象を与える場面といえば、ペトロと主イエスとの再会の場面です。聖書が教えるペトロという人の人生は波乱万丈という言葉が当てはまると言えましょう。とりわけ主イエスとの関係において、弟子として呼ばれた時の劇的な場面から、人類歴史において最初で最後に海を歩くという奇跡を体験した人、またペトロの信仰告白とされる場面で分かるように、弟子の中で筆頭というプライドをもっていた人でした。そして“イエス様が行かれるところだったらどこにでもついて行き、もし死ぬ所だとしても付いていく!”と誓うほど、主イエスに対する愛も格別な人でした。

しかし、それほど主イエスから愛され、主イエスを愛していたペトロでしたが、十字架を前にしてイエスを裏切り、3度も“イエスを知らない”と否認してしまう決定的な失敗を経験した人でもありました。・・・

本日の聖書箇所には、取り返しのつかないような失敗と挫折感の中で故郷のガリラヤに戻り漁をしていたペトロを訪ね、愛に基づく新しい使命を授けられる主イエスの姿が描かれています。

「あなたはわたしを愛しているか」、3度に渡る主イエスの質問に、辛うじて答えるペトロの姿があります。かつてのペトロであったなら、「私の愛を疑いますか」と自信満々に言い切っていたはずでした。しかし、失敗者ペトロが口にする精一杯の言葉として、「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えるしかありませんでした。しかし主イエスはそれで充分でありました。自信満々で高慢にも思えるような愛の告白ではなく、自分の失敗の上に立ち、辛うじて謙遜に語り出す愛の告白を主イエスは望まれたのです。
主イエスは3度裏切ったペトロに、3度の愛の確認を通して全く新しい関係へと招き入れてくださいます。私たちはクリスチャンとして、度々つまずいたり、失敗したりすることを経験します。特に日本社会においてはイエスを裏切るような誘惑の前に立たされてしまいます。そこでペトロのように、主イエスを裏切ってしまったという罪意識によって信仰が弱くなったり自暴自棄になったりする時があります。しかし、ぜひ覚えていただきたい。私たちの主イエスは、私たちが失敗した場所、悲しい涙を流している場所に訪ねて来られ、新しい愛の関係へと招いておられるということを。…そして、「愛から再び始まるのだよ!」と声をかけられ、主イエスへの愛をもって私たちの周りの小さな羊を飼うようにと頼まれるのです。最も小さな者一人にイエスの愛を施すことこそ、復活の主に出会った人に求められる主イエスの切なる願いなのです。皆さん、すべてのことを愛から始めましょう。ハレルヤ! 

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