2019年8月22日木曜日

2019.8.18 本日の宣教

『今こそ、祈りと讃美を!』  ヤコブの手紙5:1320) 
 近頃の自然災害や異常気候、混沌としている世界情勢を見ると、この世の終末がもうすぐやって来るような気がしてなりません。主イエスも、自然世界の動きに、よくよく目を配るようにと言われたことから、しっかりと信仰の目と耳を覚まして時を過ごさなければならないことでしょう。まさに明日の世界がどう変わっていくだろうか、とりわけ福音伝道がうまく進まず、クリスチャンの信仰生活が、この世の流れに呑み込まれそうな今の時に求められる信仰共同体としての教会と、クリスチャンの生き方はどうあるべきだろうかについて、ヤコブの言葉から教えをいただきたいと願います。


 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、讃美の歌を歌いなさい」(13節)

いつも申し上げていることですが、クリスチャンであるから人生の苦難、苦しみから解放されるわけではありません。しかし、私たちは暗闇、荒野にいるような苦難の時を度々経験します。そのような時、私たちが祈るのは、ただ苦難の時間がすぐに過ぎ去るように願うからではありません。むしろ苦難の中で、真の信仰について考え、黙想し、神との関係の中で御心を悟るため、また神の助けをいただくため祈るわけです。クリスチャンは苦しみのトンネルを通りながらイエス・キリストの十字架の苦難の意味を見出し、それを通して与えられる恵みを覚えるのです。そうです。人生の試練や苦しみは、祈りの場への招きであり、神の御心を知るチャンスであります。

「それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって、お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」(詩編5015節)・・・また、クリスチャンの生活において讃美がいかに大切であるかということをヘブライ13:15では次のように教えています。「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。」 宗教改革者のカルバンは、「もし、われわれが神の恵みに対して、讃美することなしに放置するならば、それは悪意の沈黙である。」と語っています。・・・聖書は私たちクリスチャンを、神の神殿であると教えています。そして、神殿で行われることはすべてが礼拝です。その礼拝の中で、最も大切なことが、いけにえを献げることですし、そのいけにえこそ、讃美をささげることだ!と教えているのです。 
 ヤコブは、正しい人の信仰の祈りの力について教えるために、偉大な祈りの人であったエリヤを登場させ、彼の熱心な祈り、失望せず忍耐を持って執り成し続けた姿を模範とするようにと勧めます。とりわけ、今こそエリヤがイスラエルの民と国のために祈ったように、私たちも、神の前に「正しい人」となり、日本の国と民のために熱心に執り成し祈る時であることを心がけましょう。最後まで握り続けるべきことこそ、信仰に基づく祈りと讃美、そして主イエスの十字架の愛による悔い改めと赦しであることを忘れず、主に喜ばれる生きた教会形成に励んで参りましょう。ハレルヤ!

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