2019年4月25日木曜日

2019.4.21 本日の宣教

『 復活の福音を携えて 』  Ⅰコリントの信徒への手紙15114)

主イエス・キリストの復活を讃美いたします!!!

昨日まで弱虫で死ぬことにおびえていた人が、突然死をも恐れない力強い人に変わるということは奇跡であるとしか言えないでしょう。聖書は奇跡と不思議なことで溢れています。その中でも、最も素晴らしい奇跡の物語と言えば「イエス・キリストの復活」です。本日のコリント人への手紙を書いたパウロをはじめ、新約聖書の物語の中で、イエスの復活を経験した人は、突然変わっていくということが描かれています。3年間イエス・キリストを主と師として慕っていた弟子たちが、十字架を前にしてみんな裏切り、逃げまくっていたことを覚えているでしょう。しかし、そのように弱く、恐れに捕らわれていた弟子たちが、ある日、大勢の人の前で大胆に福音を語るようになる。それだけではなく、十字架の死が待ち受けていることを知っていながらも、淡々と殉教への道を進んでいく。弟子たちのこの姿こそ、「復活されたイエス・キリスト」に出会った結果であったと聖書は教えます。弟子たちの身に起きたこのような奇跡は、今現在も同じく繰り返されていることを御存じでしょうか。即ち、信仰の自由が保証されていない国や地域へ、身の危険を承知しながらも宣教に出かける人々の支えこそ「主イエス・キリストの復活」への信仰にあるのです。それほど、イエス・キリストの復活の出来事は大いなる奇跡と変革をもたらす力となることを歴史は証ししているのです。
しかし、人が復活するということを信じるのは簡単ではありません。なぜならば、復活を信じることによって、その人自らの価値観や生き方を変えなければならないからです。決して乗り越えることができない死を恐れながら、生きている間だけでも何とか幸せでいたいという願望から、死は終わりでなく、主イエスと共に復活するという、永遠の命の希望と確信を生きるように変わることはコペルニクス的な変革とも言えるのではないでしょうか。

コリント教会にも死者の復活を信じない者たちが現れていました。彼らは復活や永遠の命に救いを見出すことはしませんでした。よって、キリストの復活も信じなかったわけです。イエス・キリストの復活を信じることと自分自身の復活と永遠の命を信じることとは決して分離できません。だからパウロは、自らの復活の主イエスとの出会いの確信の上に立って、“キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。(14節)”と断言しているのです。
 
 イエス・キリストの復活は十字架の死と共に福音の核心です。イエス・キリストの死と復活がなければ、キリスト教は誕生しませんでしたし、キリストの復活がなければ、今の私たちの信仰も虚しいものです。イエス・キリストが復活されたので、私たちにも希望があるのです。これこそ、唯一の希望です。復活された主の力強い約束の言葉に身を任せましょう。そして、この世のどんなものをも恐れず、復活の良い知らせを知らない人々に伝えましょう。ハレルヤ!

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