2025年9月30日火曜日

2025.9.28 牧師室便り

「霊的なナショナリズムを生きる」 

先日、アメリカでクリスチャンであり社会運動家のチャリー・カーク氏が、31歳の若さで暗殺されました。犯人は逮捕されたものの、いまだに犯行の理由は明らかにされていません。保守的な信仰を持つクリスチャンからは「偉大なクリスチャンで、世界的な影響力をもつ人物」と評価される一方、反対の立場からは「右翼思想を持ち、人種主義的で差別的発言を繰り返した人物」として批判されています。

しかし、この暗殺事件は個人の悲劇にとどまらず、暴力に訴える風潮が強まる現代社会の危機を映し出しています。SNSやメディアによって分断は拡大し、敵意は増幅され、人間は「対話する存在」ではなく「排除すべき敵」として扱われやすくなっています。その空気の中で暗殺という極端な行為が生まれたことは、「異なる声を生かす力」を失いつつある社会の現実を示しているのです。

一方、中東ではイスラエルによるパレスチナへの抹殺的政策が進められ、多くのパレスチナ人が追い出され、命を奪われています。国家の安全保障の名のもとに人間の尊厳が踏みにじられ、また世界各地で高まる自国中心主義や人種主義は、人々を分断し、国際的な協力を弱め、敵意と復讐を正当化する空気を生み出しています。

こうした状況において、キリスト教会とキリスト者は、何よりもまず「神の国と神の義を求める信仰」を確かにしなければなりません。主イエスが剣を収めるように語り、敵を愛することを命じられたことを心に刻み、平和を作り出す者として歩むのです。常に「神の国の民」としてのアイデンティティを持ち、いついかなる場においても分断を超えた和解の共同体を築き、互いを神の似姿に創造された存在として受け入れることこそ、福音を実践する道なのです。

パウロが「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離されてもよいとさえ思っています(ローマ9:3)」と語ったように、私たちも日本の国と民を愛し、命をかけて福音を宣べ伝える「霊的なナショナリズム」を生きる神の家族でありますように…。シャローム。



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