『 奉仕するもの ~執事の証し~ 』
マタイによる福音書12章28節~31節
『㉘…イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 ㉙イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。㉚心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 ㉛第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」』(マルコによる福音書12:28~31)
近頃、執事という言葉がよく聞こえてきますが、そもそも執事とは何する人?というところから、本日、証しの機会を与えられたので、執事について少し話そうかと思います。
小泉町教会では、毎年2月中旬になると週報の宣教の言葉が書かれている一番上に、執事選挙の告示が掲げられます。それから1カ月ほど後に実際に選挙が行われ5人の執事が選出されます。
その選挙の時に閔牧師が必ず言われることがあります。『執事選挙は人気投票ではありません。神が働き手として選ばれるのです。』 私たちはその言葉を聞き、神聖な 気持ちで選び、その結果選ばれた人達はその言葉を心に刻み、1年間、奉仕の先頭に立ち、教会のため、兄弟姉妹のために支えるという気持ちで、心を込め奉仕をしています。自分を低くし、奉仕は率先して行うということです。ですから執事は上に立って教会を引っ張るリーダーと思われがちですがそうで奉仕する者としての役割が大きいのです。
もちろん執事会を開いてそこで主に牧師が立案したものを話し合った後、信徒会で提示されてそれを審議したりするという順序になりますが、それは便宜上そのような形になっているので、決して教会の中での序列ではありません。なぜなら教会はイエス様の体でありイエス様のもとで兄弟姉妹は牧師も含めすべてが平等だからです。そこに序列があるはずがありません。奉仕・礼拝する者としてあるのです。ただ、教会の大切な礼拝を導き、群れを養う監督の務めを担う者として牧師が立てられていますので、序列によるのではなく、牧師が教会の代表として仕える存在であると言えると思います。その牧師を支えるのも執事の大切な役割の一つです。
そして、何と言っても決してなくしてはいけないものがあります。それが冒頭に掲げた御言葉です。それは奉仕にとっても生きて行く上でも決してなくしてはいけない大切なものです。 『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」 ㉛第二の掟は、これである。「隣人を自分のように愛しなさい。この二つにまさる掟はほかにない。』この御言葉を神の愛を心に刻み、歩いていきたいものです。
S.Y.姉
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