『 忍耐する人は幸いです 』
ヤコブの手紙 5章 7~11節
わたしたちは、日々の生活の中でさまざまな試練や困難に直面します。ときには、祈ってもすぐに答えが得られず、神の導きが見えないと感じることもあるでしょう。しかし、聖書は繰り返し、私たちに「忍耐すること」の大切さを教えています。
ヤコブはまず、農夫の姿を例に挙げて忍耐を教えています。農夫は種を蒔いた後、すぐに実を刈り取ることはできません。早い雨、遅い雨を待ちながら、時が来るまで備えて待ち続けます。このような農夫の「待つ」という姿勢は、ただ何もしないのではなく、備えながら信じて待つ姿勢です。「あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです(8節)」
特にヤコブは、主の再臨が迫っていることを信じているキリスト者だからこそ、今日という日を希望をもって忍耐すべきであることを教えています。初代教会の信徒たちは、主の再臨を待ち望みながら「マラナ・タ」と挨拶を交わしていました。信仰における忍耐とは、単なる我慢ではありません。それは、神が必ず御業を成し遂げてくださると信じ、確信を持って歩むことです。私たちの心が弱くなるとき、「心を固く保って」主の再臨という希望を思い起こし、信仰を強めることが大切です。
続けてヤコブは、「忍耐する人の持つべき姿勢」について教えています。忍耐の中で最も試されるのは、周囲の人々との関係です。困難な時期には、つい他人を責めたり、比較してしまいがちです。しかし、ヤコブは「互いに不 平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます(9節)」と語り、神の前に正しい態度を持つよう促しています。不平やつぶやきは、喜びや感謝を失わせ、共同体を揺るがすことになります。
ヤコブは最後に、忍耐の模範として預言者たちとヨブを挙げて説明します。旧約聖書の預言者たちは、神の言葉を語るがゆえに迫害され、試練に遭いました。しかし、彼らは神への信仰を捨てることなく、最後まで忍耐しました。たとえば、エレミヤは神の言葉を忠実に語ったために迫害されましたが、最後まで神に仕え続けました。また、ダニエルも試練の中で神に忠実でした。獅子の穴に投げ込まれるという極限の状況でも、彼は信仰を曲げることなく神を信頼し続けました。ヨブもまた、極限の試練に遭いながら最後まで神を信じ抜きました。その結果、神は彼を豊かに祝福されたことを、聖書は証ししています。
このように、聖書には多くの忍耐の模範が示されています。私たちも、どんな困難の中にあっても、聖書に登場する信仰の先人たちのように、神の憐れみを信じて忍耐するならば、必ず神の祝福を受けることになります。そのとき、主イエスは私たちに向かって、「忍耐した人は幸いです」と御声をかけてくださるでしょう。
ハレルヤ!
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