『新しいことを始めるということ』
(イザヤ書43章19節)
洪正實姉のお母様姜仁淑(カンインスク)姉が10日朝に天に召されました。閔丙俊先生と璱基姉が急遽韓国に帰ることになりました。朴ボヒョン姉の霊が主とともに平安を与えられ、ご家族が主の豊かな恵みにより慰められることをお祈りいたします。
今日の礼拝のメッセージで私が主に示された聖書の箇所は、「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。」です。
イスラエルの民は、長い歴史の中で奴隷であったエジプトから神が救い出し、約束の地を与えられたにも関わらず、神に聞き従わず、自らの権力や軍事力、偶像により頼み、弱くされた人々を略奪し、神が送ったメシアをないがしろにして、繰り返し悪を重ねてきました。そのため国は二つに分かれ争い、北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国はバビロンに捕囚され、エルサレムは破壊され滅びます。
しかし、神は、イザヤ40章で神の一方的な恵みと赦しによってイスラエルの民の救いと来るべき祝福を預言します。「苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」「荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」「主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。」(イザヤ書40章3~5節)イスラエルの二つの王国は、「草は枯れ、花はしぼむ」ように滅びるが、創造の力と贖いの神の言葉はとこしえに立ち、「主の御前に、国々はすべて無に等しく、むなしくうつろなものと見なされる。」 イスラエルを滅ぼしたアッシリアやバビロンも、「奪う者にヤコブを渡し、略奪する者にイスラエルを渡したのは誰か。それは主ではないか、この方にわたしたちも罪を犯した。彼らは主の道に歩もうとせず、その教えに聞き従おうとしなかった。」(イザヤ書42章24節)
イスラエルの民は、とこしえに立つ神の言葉に聞き従わず、悟る者もなく、かたくなになった民を神は罰されましたが、一方的な赦しを約束されたのです。
なぜなら神は、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。」(イザヤ書43章4節)と神は私たちを一方的に愛しているからです。そこには、主の愛に応えるために、主の言葉を信頼し、主に望みをおくことが伴わなくてはならないのだと思います。
今、SDGsという希望が与えられていました。しかし、いまだに国の権力や軍事力に寄り頼み、国と国は争い、罪のない人々、こどもや女性を殺し続けています。私たちを贖うために十字架にかかった主の一方的な赦しと愛に応えるために、国も、民族も、性別も、宗教さえも超えて、人々がともに幸せに暮らし続けられる世の中にするように、今年は「新しいことを始めるということ」に取り組みます。
「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ書40章31節)
0 件のコメント:
コメントを投稿