2020年7月14日火曜日

2020.6.21 本日の宣教



『 証しとなる歌を歌おう  (申命記311923)

 先週のリビングライフで、神の人モーセがカナンの地を前にして、イスラエル共同体に向けての告別説教を終え、神から命じられた歌を教える場面を黙想しました。とても興味深いことに、神御自らモーセに、イスラエル共同体に信仰告白としての歌を覚えさせ、その歌を永遠に忘れることのない証しとするようにと命じられる場面です。
 モーセは、イスラエル共同体の指導者としての召命を受けてから、全生涯をかけて、ひたすら戦い続けた神の人でした。神からカナンの地へのビジョンをいただいてから、イスラエル共同体をエジプトから導き出し、荒野での40年間のありとあらゆることを経験しながらも、一時も逸れることなく、神とイスラエル共同体の間に立ち、信仰の旅を続けてきました。そして、いよいよカナンの地が見えるところまで来て、神からのメッセージを一つ残すことなく語り続けるモーセでした。しかし、モーセにはカナンに入ることが許されなかったことを聖書は教えます。全生涯をかけてカナンの地だけを夢見て、様々な試練を乗り越えてきたのに、神はモーセの夢を叶えてくださらなかったのです。その時受けたモーセの失望は言葉では言い表せないものだったでしょう。そこで神は、モーセにもう一度大切な働きを命じられます。その命令こそ、イスラエル共同体に対する神の証しとなる歌を書き記せ!ということでした。…「今、次の歌を書き記し、それをイスラエルの子らに教え、彼らの口にそれを置け。この歌をイスラエルの子らに対するわたしの証しとするためである。」(申命記31:19、新改訳)…モーセは神の命令に従い、最後まで御心を成し遂げていきます。
 申命記32章にはモーセが書き記した歌をイスラエルの民らに語り聞かせる場面が描かれています。そこには、天と地、大自然を証人と立てて、大いなる神について、神がイスラエル共同体をどのように見いだし愛して来られたのか、また、イスラエル共同体の罪と背信、堕落について、それに対する神の怒りと裁きについて、最後には神の贖いによる勝利が記されています。神と神の民との歴史を振り返りながら、イスラエルの子らに教え、彼らへの証しとして作られた歌でした。この歌は一度だけ歌うものではなく、イスラエルの子らに受け継がれ、決して忘れないようにするために作られた歌でした。この時から、イスラエルは賛美する民とされたのです。イスラエルの民にとって賛美は、彼らのアイデンティティーであり、歴史であり、礼拝であり、呼吸でありました。このことは、私たちにも当てはまるでしょう。賛美は信仰する者と共同体を生かす力となり、神を愛し見上げる賛美は証しとなって神の栄光を世界に現すことになるのです。
 今年は私たち小泉町キリスト教会の宣教開始60周年を迎える年です。それを記念していくつかのことを進めています。その中に小泉町教会のオリジナルの賛美歌を作ろうというビジョンが与えられ、一人の姉妹に作曲していただき、その曲に合わせた歌詞を募集したところ、多くの神の家族から素晴らしい歌詞が寄せられました。そして先週、ミルトス三姉妹により、曲に歌詞を合わせて一つの曲にまとめられました。「小さな泉を与えられた主」という歌です。
 きっと、この讃美を歌いながら、富山小泉町キリスト教会の宣教60周年を思い起こすことになるでしょう。最初に富山の地に宣教の旗が掲げられた日から、60年の歴史に刻まれた数々の恵みの御業、また、8名の牧師たちの献身、それから、神の家族一人一人の信仰の足跡、そして新たな明日への希望が歌となって歌われることでしょう。願わくは、私たちの賛美が証しとなって今暗闇の中で苦しむ人々の心に届けられますように・・・。ハレルヤ!

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