2020年2月5日水曜日

2020.2.2 本日の宣教

『小さな信仰がもつ力』 使徒23639)       

ペトロは聖霊を受け、福音を大胆に伝えます。集まっていた人々はペトロの宣教を聞いて大いに心を打たれたと聖書は記しています。そうです。福音は、人の思いをはるかに超えて働く力をもっています。その人が誰であっても真の福音に触れ、福音を心に受け入れるのであれば、そこには大きな変化がみられることになるのです。

  それでは、ペトロが語った福音とは何でしょうか。「神の独り子イエス・キリストが十字架の上で私たち罪人のために血を流し死んでくださったこと、そして主イエスが死より復活され、永遠の救いの道を開かれたこと、そして主イエスは天に昇られ、主イエスを慕い求める人に聖霊を注がれる」という良き知らせでした。その良き知らせを聞き、心から信じる人は救われるのです。

  そこでペトロは、集まっていたユダヤ人たちに、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのをはっきり知りなさい!」(36節)と迫ります。すなわち、神が旧約聖書で約束され遣わしてくださった救い主メシアを「あなたと私が十字架につけて殺してしまったのだ。私たちは、みんなメシアを殺した殺人者なのだ。」と告白しているのです。はじめてこの言葉を聞いたユダヤ人たちが受けた衝撃は、想像を絶するものだったに違いありません。しかしペトロはそこにとどまりません。「あなたと私が十字架につけて殺した救い主を、神は復活させられた。そして復活なさった主イエスは、天の神の右に上げられ、そこから聖霊を注いでくださり、今もあなたと私を導いておられるのだ。」と。

37節で、ユダヤ人たちはペトロの言葉を聞いて「大いに心を打たれた」と記されています。「大いに心を打たれ」という表現は、良心の呵責からくる強烈な感情を表します。その上、彼らは「わたしたちはどうしたらよいのですか」という叫びをもって尋ねます。まさに目からうろこが落ちたかのように、自分たちがメシアを殺してしまったという罪深さを悟らされたことによる叫びです。このような反応は今日も十字架の恵みに触れた人に見られる姿でしょう。

最後にペトロの答えに注目しましょう。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(38節)…罪人が主イエスを救い主と信じ、バプテスマを受けるためにまず求められる姿こそ、悔い改めです。人は悔い改め、主イエスの名によってバプテスマを受けます。悔い改めない罪人は、決して主の前に立つことも、救われることもありません。悔い改め主の名によってバプテスマを受けた者は聖霊を受け、聖霊との交わりの中で日々感動を生きるようになるのです。

“口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。”(ローマ10:9)に書いてある通り、私たちが持っている信仰は小さいけれど、日々、口と心で主イエスの福音を確かなものとして証しできますように、また、世界のすべての人が、福音に触れ、福音からくる感動で満たされますように…。ハレルヤ!

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