2025年3月31日月曜日

2025.3.30 牧師室便り

 「常に新たに」

2024年度も、52回目の主日礼拝を迎えることとなりました。この52週間、私たちの歩みを守り、時にかなって助け、導いてくださった神を賛美します。また、この52回の主日礼拝に共に集い、生きた賛美と御言葉、交わりを持つことができた神の家族に、心から感謝いたします。

とりわけ、2024年度は、元日に発生した能登地震により被害を受けた能登地域の方々をどのように支えることができるかを尋ね求める中で、「主の憐れみに生きる教会」という標語のもと、一年間歩んできました。その中で、神は「小さな泉のカフェ」というビジョンを与えてくださり、能登町柳田の皆さんとの大切な交わりを備えられました。

この一年、能登被災地支援活動を続けてきたことは、私たちのような小さな群れにとっては決して容易なことではありませんでした。しかし、すべては神が示された業であり、すべては神の御手の中にあるという信仰を与えられ、今日の恵みへと導かれたのだと思います。

そして、2025年度。私たちは新しい一歩を踏み出しま
す。52回ある主日礼拝をはじめ、私たちはどのように過ごしていくことになるでしょうか。多くの場合、昨年一年間行ってきたことの繰り返しとなるでしょう。しかし、同じことを行うからといって、ただ例年通りに、慣れたやり方で進めてしまうのは大きな間違いです。神が私たちに望まれるのは、常に新たな心で、一つ一つの出来事に向き合っていくことです。
「見よ、わたしは万物を新しくする(黙示録21:5)」と、すべてを新たにすると宣言された主イエスが、小泉町教会の一人ひとりの心と信仰を新たにしてくださいますように。また、小泉町教会共同体の一年間の歩みを、新しく導いてくださいますように。
神の家族お一人おひとりに心から感謝しつつ、「主の憐れみに生きる教会」として、共に隣人の手を取り合い、力を合わせ、励まし合い、支え合いながら、常に新たな歩みを続けたいものです。シャローム!


2025.3.30 本日の宣教(交換講壇)

 『 蛇のように鳩のように 』

                    マタイによる福音書 10章16~23節

弱い私たちに、弟子たちに、これから起きる苦しみ、迫害の中で、どう歩むのかということを教えられています。22節では「最後まで耐え忍ぶ」ことが求められます。弟子たちに、苦しみ、迫害の中で、耐え忍ぶ者が救われる。自分を苦しめる者に対して、対抗していくのではなく、鳩のように素直な者として、苦しみを耐え忍んでいくようにと。23節では「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」と。忍耐する、というのは、最後まで耐え忍ぶのは、そこに踏み留まり続けることではありません。逃げ出して別の場所、別の人の所へ、行ってもいいのです。逃げることが証しすることをやめることではありません。ある場所での証しがうまくいかない時に、その場所から離れてみる、別の方法に切り替えてみる、それが、かえって多くの人々に、伝道できるのだといわれます。求められていることは、どんな場所ででもいいから、鳩のように素直な者として、うまく苦しみを耐え忍んで、証を続けて行くことでしょうか。鳩は、愛や平和の象徴とされています。また、古代のイスラエルにおいて鳩は「心の鳥」と考えられ、「柔和、無邪気、純潔な貞操のシンボル」とされていたようです。そして、ここで「素直に」と訳されている言葉は、もともとは「混じりけのない」とか「純粋な」とも 訳すことができる言葉だそうです。

 イエスさまが弟子たちに向かって、「鳩のように、悪に染まらず、純粋でいなさい」と話されているイメージが、分かります。蛇は、神さまに特別扱いされている人間が失敗すれば、自分が神さまから特別扱いされる地位を、自分のものにできるのではないかと思い、人間に嫉妬したのだ。そんな心から、蛇はエバをそそのかし、騙したのではないだろうか。イエスさまは蛇の言葉の奥に隠されている、ずる賢さを知れと言われているのでしょうか。では、私は、蛇のように賢く、鳩のように、素直に生きる為に、どうすればよいのでしょうか。攻撃された時の為に武器を持つ国になる。そうではない。神さまが求めておられるのは、愛と平和です。言葉による対話です。武器を持つことが平和を守ることではないと、思い伝え続けること。ここは岩盤が固いから、海抜が高いからと情報を鵜呑みにして準備を怠らないこと。こんなに儲かるとか、不安をあおってだまし取るなど、蛇の悪だくみの中に隠されている悪をしっかりと見つけること。神さまからの、み言葉を忘れずに、神さまのものさしで、正しく判断することが必要だと思いました。

                        金沢キリスト教会 調子由美子


2025.3.30 小さな泉の恵み

 主の御名を賛美します。

私は心の病気をもっています。「あんなことをして人をきずつけたのではないか」とか、他の人の言葉できずついたりもします。だけど病院の作業所に行けば、仕事をするので、忘れます。

(詩編の119:105)「あなたのみ言葉はわたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯」とあります。聖書のみことばは、さびしい私の心にパッとあかるくなって、みことばにはげまされます。

(ヨハネ16:33)「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」とあります。

み言葉を心のささえとして、これからも元気に働きたいです。

                               M.T.姉


2025.3.23 牧師室便り

 「喜びと真心をもって」

先週、2025年度の奉仕の先頭に立つ新しい執事が選ばれました。5名の新しい執事を中心に、小泉町教会が主に喜ばれる礼拝共同体として成長していくことを、心からお祈りいたします。

さて、最近一人の姉妹の喜びに満ちた奉仕によって、さまざまなところが飾り付けられ、明るい雰囲気になっています。あまりにも熱心に集会に集い、奉仕に加わっているため、牧師としては少し気になり、「疲れていませんか? 無理しないでくださいね。できる範囲でいいですから、疲れないようにしてくださいね」と声をかけました。

すると、その姉妹は、「いいえ、今は本当に嬉しくて、喜んでやっています。今は時間があるからできることですし、自分の賜物を発揮できることなので、喜んで奉仕をしています。ですから、心配しないでください」と答えてくれました。

本当に素晴らしいことです。牧師にとって、教会員一人ひとりが喜びに満ちあふれ、それぞれに与えられた賜物を生かして奉仕し、仕えることは、何よりの恵みです。

しかし、自分の能力を超える働きで疲れてしまったり、いやいやながら奉仕したりすることは、神のためにも、教会のためにも、そしてその人自身のためにも、何の益にもなりません。

救われた者、赦された罪人として、各自が持っている賜物を生かし、神の家族である一人ひとりが、キリストの体なる小泉町教会を祝福と恵みに満ちた群れとすることほど、素晴らしいことはないでしょう。

神がご覧になっているのは、その人の外見や行いではなく、その人の喜びに満ちあふれる真心からの信仰です。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」(コロサイ3:23)…この御言葉のように、2025年度、何をするにも人に見せる信仰ではなく、ただ主に仕える信仰生活を歩むことができますように。小泉町教会の神の家族が、一人ひとり喜びを持ち、それぞれに与えられた賜物を十分に発揮しながら、互いに仕え合い、赦し合い、主に喜ばれる教会共同体を形成していくことを願います。シャローム!



2025.3.23 本日の宣教

 『イエス様に導かれて』~小さな泉の村10年目の春~

                       マタイによる福音書 25章31~40節

『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイ25:40)』

今から12年程前、私は、雪の舞う寒い冬の夜に富山駅の地下道で、一人の小さな老人とすれ違いました。その人は、ぼろのような黒色の長いコートを身に纏い、たどたどしい足取りで凍える地下道を歩いていました。その強烈な出会いが「小さな泉の村」のスタート地点だったと思います。

大不況の嵐リーマンショックの影響で住まいや職を失った境遇にある人々のために2009年1月から、食事などを提供してきたホームレス自立支援団体「あったか相談村」が、2016年3月、活動を終了しました。その活動終了の発表がされた日に、ボランティアとして参加していた私は、この小さな灯を消してはいけないという強い思いを示され、そして、時を同じくし、小泉町キリスト教会の閔牧師も「地域に根ざした奉仕活動を!」というミッションを、主から与えられていました。

その二つの出来事が神様の導きにより結び付けられ、あっという間に小泉町キリスト教会の信徒会での同意を得られ、時にかなった神様の導きで2016年4月に教会の名前から「小さな泉の村」として名前を変えて再生しました。その時に主から与えられた奇跡と感動は今も鮮明に心に残っています。 「小さな泉の村」の活動では、毎回、主が始めから終わりまで伴って下さって、会場が聖霊様の喜びで満たされていると感じます。そして、「小さな泉の村」の活動は、主イエス様の導きの内に現在に至るまでいくつかの小さな変化を伴いながら、また、コロナ禍の時も活動の形を変えながらも途切れることなく続けられています。そして小泉町教会の兄弟姉妹、ボランティアの方々のご尽力によって、10年目の春を迎えます。振り返ると、あっという間の9年でした。利用者さん、ボランティアの皆さんと一緒に楽しみながら一歩一歩と歩(あゆ)んで来て、前方を見ると「10」という数字が見えてきた、という感じでしょうか。

それは、イエス様が小さな者に目を注がれ、主の愛と導き、道を示され必要なものを備えて下さったからこそ、ここまで歩(あゆ)めたのだと思い、主に心からの感謝を捧げます。ありがとうございます。そしてこれからも主の導きによって、同じようにまた一歩一歩歩(あゆ)みを進めていけると信じています。

地域の片隅でイエス様の導きによって始まった、小さな人々のための活動「小さな泉の村」が、冒頭に掲げた御言葉を忘れず、イエス様の愛に溢れた場所として、そこに集う「小さな人々」の救いと喜びの場所となりますよう祈ります。  ハレルヤ アーメン!                  

                                 瀬戸泰子


2025.3.23 小さな泉の恵み

 ある朝、道の駅ヘ野菜を持って行くと、早い時間に店員が皆出勤しています。普段、やっと2~3人の顔がみられるかなという感じなのに。Aさんが店員の一人に尋ねます。「何かあるの?」店員はAさんに「今日は避難訓練があるんです。」するとAさんは私たちに向き直り、「皆さ~ん。もうすぐ火事ですよー!」店員は慌てて彼女を制止し「しー。まだそれ内緒( ̄b ̄) シーッ!」年に2回、避難訓練が義務づけられていて、業者も参加が求められます。実施される日も知らされず、早く会社に戻りたくても帰れません。始まると、当の店員も日頃の作業とは違ってマニュアルを読み始めてなにやら怪しい。本当の火事だったらどうするの? 

 「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。(ヨハネの黙示録22:12)」さぁ。周りの方々に耳打ちしましょう。「もうすぐイエス様がこられますよ。」今日、イエス様が来られても慌てないように。内緒にしてはいけません。

「また、わたしはこう言った。『この書物の預言の言葉を秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。』(ヨハネの黙示録22:10)」

                                 S.Y.兄


2025.3.16 牧師室便り

 「2025年度 小泉町教会の執事選出に寄せて」

本日、2025年度の小泉町教会の歩みを支え、奉仕を担う5人の執事を選びます。昨年度も、坂上幸男兄、島田茂兄、白石美保姉、瀬戸泰子姉、長崎順子姉の5人が、全身全霊を尽くし、喜びと感謝、そして献身をもって仕えてくださいました。心から感謝します。

そして本日、新たな5人の執事を選びますが、どのような方が立てられるのか楽しみです。ぜひ祈りつつ、「この人こそ執事にふさわしい」と示される方を選んでください。選挙は決して人気投票ではなく、また能力主義でもありません。だからこそ、聖霊の導きのもとで、心に示される方を祈りの中で選ぶことが大切です。

執事は、ギリシャ語で 「ディアコノス」 と言います。その本来の意味は 「給仕する者」 であり、そこから 「奉仕者」「仕える者」 という意味へと定着してきました。すなわち、教会の執事とは、人の上に立ち、自分の権威を振るう役職ではなく、仕える者です。給仕をしながら人々に必要なものを提供し、神と教会、そして人々に仕える存在であることを心に刻みましょう。

小泉町教会の教会規則において、「執事の任務」は、「牧師の宣教を補佐し、教会の目的達成のため、それぞれ必要な職務を分担し遂行する」 と定められています。何よりも 神の国の宣教を第一 とし、「教会は人によって成ったものではなく、神によって成ったものである」ことを信じ従う信仰に立ちましょう。そして、人に頼るのではなく、聖霊の助けと導きに委ね、選ぶ人も選ばれる人も謙遜に聖霊に従うことを大切にしましょう。

2025年度の小泉町教会の歩みにおいて、新たに選ばれる5人の執事を通して、神の大いなる祝福にあずかることができますように。主に喜ばれ、神の家族に喜ばれ、そして神の国の成就のために、喜んで仕えるお一人お一人となることを期待しつつ。シャローム!