2025年5月15日木曜日

2025.5.11 牧師室便り

              「ゴールデンウイークの驚くべき恵み!」

ゴールデンウィーク中、韓国から来た後輩に富山の見せたい観光地を訪ねた後、最後に温泉に行きたいとの要望もあり、私が大好きな「グリーンパーク吉峰 温泉ゆ~ランド」へ案内しました。ところが、入浴後に後輩が「鍵を忘れてしまいました」と言い出し、大慌てで20分ほど探すことに。無事に見つかり、安心して帰路につきました。

ちょうどA姉のお宅の前を通りかかったので、気になって車をゆっくり走らせていると、なんとA姉がお部屋の方から出てこられる姿を見かけたのです。驚きながら車を止め、急いで駆け寄りました。以前息子さんからA姉の認知症が進んでいるとの話を聞いていたため、「私のこと、覚えておられますか?」と声をかけると、姉妹は笑顔で「何を言っているの、先生じゃない」と応えてくださいました。

教会のみんなが心配して祈っていることをお伝えし、また最近の出来事についてお話ししました。姉妹も、デイサービスに通いながら過ごしておられる日々の様子を語ってくださいました。「日曜の礼拝だけでも、息子さんにお願いして教会に来られたら…」と伝えると、「いえ、私の方から教会に行きます」と力強くおっしゃったのです。その元気な姿に、以前より回復された様子を見て、本当に安心しました。

帰り道、後輩に「ありがとう」と感謝の言葉をかけながら、万事を益とされる神の導きに心から賛美をささげました。もし後輩が温泉に行きたいと言わなければ、鍵を忘れなければ、この再会はなかったでしょう。わずかな出来事の「ずれ」がもたらした、主の不思議なご計画でした。

 「主のなさることはすべて時にかなって美しい」(コヘレト3:11)。この御言葉の通り、私たちの生活の中には、主の恵みと導きが確かに働いています。思いがけない出来事の中にも、神の愛が満ちています。これからも互いに愛し合い、とりなし祈りながら、主の恵みに共にあずかってまいりましょう。シャローム!



2025.5.11 本日の宣教

 『 忍耐する人は幸いです 』

                   ヤコブの手紙 5章 7~11節

わたしたちは、日々の生活の中でさまざまな試練や困難に直面します。ときには、祈ってもすぐに答えが得られず、神の導きが見えないと感じることもあるでしょう。しかし、聖書は繰り返し、私たちに「忍耐すること」の大切さを教えています。

ヤコブはまず、農夫の姿を例に挙げて忍耐を教えています。農夫は種を蒔いた後、すぐに実を刈り取ることはできません。早い雨、遅い雨を待ちながら、時が来るまで備えて待ち続けます。このような農夫の「待つ」という姿勢は、ただ何もしないのではなく、備えながら信じて待つ姿勢です。「あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです(8節)」

特にヤコブは、主の再臨が迫っていることを信じているキリスト者だからこそ、今日という日を希望をもって忍耐すべきであることを教えています。初代教会の信徒たちは、主の再臨を待ち望みながら「マラナ・タ」と挨拶を交わしていました。信仰における忍耐とは、単なる我慢ではありません。それは、神が必ず御業を成し遂げてくださると信じ、確信を持って歩むことです。私たちの心が弱くなるとき、「心を固く保って」主の再臨という希望を思い起こし、信仰を強めることが大切です。

続けてヤコブは、「忍耐する人の持つべき姿勢」について教えています。忍耐の中で最も試されるのは、周囲の人々との関係です。困難な時期には、つい他人を責めたり、比較してしまいがちです。しかし、ヤコブは「互いに不 平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます(9節)」と語り、神の前に正しい態度を持つよう促しています。不平やつぶやきは、喜びや感謝を失わせ、共同体を揺るがすことになります。

ヤコブは最後に、忍耐の模範として預言者たちとヨブを挙げて説明します。旧約聖書の預言者たちは、神の言葉を語るがゆえに迫害され、試練に遭いました。しかし、彼らは神への信仰を捨てることなく、最後まで忍耐しました。たとえば、エレミヤは神の言葉を忠実に語ったために迫害されましたが、最後まで神に仕え続けました。また、ダニエルも試練の中で神に忠実でした。獅子の穴に投げ込まれるという極限の状況でも、彼は信仰を曲げることなく神を信頼し続けました。ヨブもまた、極限の試練に遭いながら最後まで神を信じ抜きました。その結果、神は彼を豊かに祝福されたことを、聖書は証ししています。

このように、聖書には多くの忍耐の模範が示されています。私たちも、どんな困難の中にあっても、聖書に登場する信仰の先人たちのように、神の憐れみを信じて忍耐するならば、必ず神の祝福を受けることになります。そのとき、主イエスは私たちに向かって、「忍耐した人は幸いです」と御声をかけてくださるでしょう。

ハレルヤ!


2025.5.11 小さな泉の恵み

 4月に風邪をひきました。とてもじゃないけど、寝込む余裕のないスケジュールをもっていたときでした。「神さま、頼むわ」と祈りながら、コロナのセルフチェックをして、“陰性”と判明したときは、助かった~。感謝!という気持ちでしたが、その風邪は“咳”をお土産に置いていきました。長引く咳・・・私の経験では、「私、もう、治らないんだ・・・」と、あきらめていると、あれ?って、咳が出なくなったりするようで・・・

それを待つとします。

暑いくらいかと思えば、寒くて震えてしまったりする今日この頃、どうか、みなさんも、気をつけてお過ごしください。

話はぜんぜん違いますが、8日のリビングライフ…神さまに従って生き抜いたアロンおじいさん、ご立派でしたね。たそがれ世代の私には、とても良いデボーションのときでした。

                              K.I.姉

2025.5.4 牧師室便り

                   「主の宮を清める喜び」

先週の火曜日、休日にもかかわらず、教会の2階に6名の有志の方々が集まり、「主の宮をきれいにしよう」という思いのもと、長らく手をつけられずにいたゴミや古い本、備品などの整理に取り組んでくださいました。

教会の60年の歴史の中で、歴代の先生方の足跡が残る物を手放すのは簡単ではありません。しかし、いつまでもそのままにしてはおけないという思いが一致し、子ども礼拝室、応接室、ゲストルームまで、丁寧に片付けと掃除、修理を進めました。

埃の中で作業しながらも、次第にきれいになっていく部屋を見て、皆の心もすっきりと整えられたように感じました。ぜひ皆さんにも、2階の新しい姿を見に行っていただきたいと思います。「新しくなる」ということの喜びを、きっと実感できるはずです。

この出来事は、私たち一人ひとりの心の状態についても問いかけているように感じました。私たちの中にも、「捨てたくても捨てられない古いもの」があるのではないでしょうか。長年染みついた考えや習慣、あるいはイエス様が喜ばれない思い、心の奥に残っている罪の問題などがあるかもしれません。しかし、私たちの体は聖霊が住まわれる神の神殿です。そうした場所にイエス様をお迎えできるでしょうか?

イエス様がエルサレム神殿をきよめられたとき、「わたしの家は祈りの家である」と語られたように、神の神殿としての私たちの日々の生活と、キリストの体なる教会として、まずは祈りによるイエス様との深い交わりのもと、古いものを手放し、新しいものが生まれるような歩みを大切にしていきたいものです。

神の家族の皆さん、日々、聖霊様と心を通わせながら、自分の内側を整え、主に喜ばれる歩みを心がけましょう。皆さんの「心の部屋」はいかがでしょうか? 今こそ、掃除のときかもしれません。シャローム!



2025.5.4 本日の宣教

 『主イエスとの 40日間の遠足  』

                       使徒言行録 1章3~5節

主イエスは十字架にかかり、確かに死なれました。しかし、三日目に死を打ち破ってよみがえられたのです。そして復活後、主イエスはすぐに天に昇られたわけではありませんでした。…「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」(使徒言行録1:3)

ここに、私たちが注目すべき素晴らしい事実があります。主イエスは、復活の栄光をただ一瞬だけ弟子たちに見せて去られたのではなく、40日にわたって共に歩み、語り、教え続けられたのです。

聖書の中で「40」という数字は、神と共に歩みながら、その臨在にあずかる期間、教えと訓練の期間、あるいは裁きと悔い改めの期間としてしばしば用いられます。しかし、本日の40日間は、主イエスと弟子たちにとって、まるで「遠足」のような特別な時間でした。

遠足とは、日常を少し離れて、特別な場所へ出かけ、共に時間を過ごし、新しいことを学び、心を新たにする旅です。とりわけ主イエスは、その40日間を通して、弟子たちがやがて帰るべき「神の国」を夢見、思い描くことができるように教えてくださいました。

それは単なる知識やイメージにとどまらず、「いつも共におられる復活の主」として、弟子たちに確かな確信を与えるものでした。食事を共にし、祈りを共にし、問いかけに耳を傾け、時に励まし、時に待ちながら、弟子たち一人ひとりの心に、神の国のビジョンをしっかりと植え付けていかれたのです。 そして主イエスは、ご自身が昇天された後も、弟子たちと新しい旅を共にしてくださる「聖霊」を待つように告げられました。

「父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい。(1:4)」

新しい遠足の旅は、「聖霊」というお方と共にすることになるのだと教えておられるのです。約束された聖霊は、私たちを新しくし、力づけ、導き、神の国のために生きる者へと変えてくださいます。主イエスとの40日間の遠足の目的は、まさにここにありました。すなわち、新しく始まる遠足が、「聖霊に導かれる旅」へと移り変わるということなのです。

そして同じように、私たちもまた、主と共に歩むこの「人生」という遠足の中で、日々御言葉に耳を傾け、神の国への主の約束を信じ、聖霊の力を待ち望みながら、十字架と復活の証人としての旅を進んでいくのです。

愛する神の家族の皆さん、復活の主は、40日間の遠足を終えられた後、ペンテコステの恵みとして聖霊を送ってくださいます。あなたの訓練のために備えられたこの40日間の旅を通して、ご自身が生きておられる復活の主であることを、確かな証拠をもって示され、神の国について教え、聖霊のバプテスマという恵みを与えてくださいます。とりわけ今は、「聖霊と共にする遠足の時」であることを忘れず、聖霊を待ち望むお一人お一人でありますように…。ハレルヤ!


2025.5.4 小さな泉の恵み

 ~ 隠れた奉仕にある祝福 ~

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイによる福音書6:3-4)

 教会に静かにトイレを掃除してくださる姉妹がいます。奉仕表にはその名前は書かれていなくて、ただ「神の家族」とだけ記されています。それを見るととても心を打たれます。

こういう奉仕って目立たないし、感謝の言葉をもらうことも少ないかもしれません。

でも、神さまはちゃんと見ておられるんですね…。

 わたしたちは、つい「誰かに認められたい」とか「ライトを浴びたい」と思ってしまいますよね。

がんばっているのに誰にも気づいてもらえないと、少しさみしくなることもある。

 でも、イエスさまは「隠れたところで善を行いなさい」と言われるんですね。

 トイレの掃除は、そんな隠れた愛の行いだと思います。みんなが気持ちよく過ごせるのは、誰かが見えないところで支えてくれてるから。

 わたしの奉仕も、神さまに捧げるように心を込めて行いたいと思います。

 そして、いつも綺麗にしてくださる姉妹に感謝します。あなたの支えが、わたしに神さまの愛を感じさせてくれています♡

                              A.M.姉


2025.4.27 牧師室便り

                   「新たな航海を期待しつつ」

先週の木曜日、2025年度最初の「小さな泉のカフェ」に出かけました。今回は小泉町教会のメンバー11名に加え、中部地方連合の新会長である平原教会の谷笠先生もご一緒くださり、総勢12名での訪問となりました。いつものように柳田公民館の職員の皆さんから温かく迎えていただき、無事にカフェを開催できたことを感謝します。

今回は、従来の「炊き出し形式」ではなく、落ち着いたカフェのような雰囲気づくりに挑戦しました。来場者の皆さんには最初から席に着いていただき、テーブルには料理やお花、ランチョンマットを用意し、「大切なお客さまとして迎えられている」と感じていただけるよう心がけました。その結果、想像以上に喜んでいただき、歌や語らい、ハンドマッサージなどを通して温かな交わりの時が与えられました。すべてを導いてくださった神様に栄光をお返しするとともに、様々な疲れを覚えながらも心からの奉仕をしてくださった皆さんに心から感謝します。

この経験を通して改めて示されたのは、小泉町教会の歩みが、決められた計画をこなすよりも、その時々に聖霊の導きを求め、祈りつつ最善を作り出していく姿勢の大切さでした。

本日は定期総会が開催されます。2025年度の小泉町教会の航海が、聖霊の導きに敏感に応答し、恵みの波に乗って生き生きと進む一年となりますように。また、神の家族お一人おひとりが、互いに熱く愛し合いながら、生きた礼拝者として祈り、仕え、励まし合う、主の喜びとなる教会を共に作り上げてまいりましょう。シャローム!