2025年10月11日土曜日

2025.10.12 小さな泉の恵み

 「知らされなかった者が見る」 

パウロの言葉を読むとき、わたしは「道の途中」に立っているような気持ちになります。 彼はすでに多くを成し遂げた人でしたが、それでも「まだ知られていないところへ行きたい」と願っていました。誰も耕していない地に、神の愛の種をまく。それが、彼の誇りであり、喜びでした。 けれども、その誇りは「自分の力」ではなく、「キリストにあっての誇り」だと彼は言います。 

私たちはつい、人の評価や成果で自分を測ってしまう。 けれどパウロは、「キリストが私を通してなさったこと以外は誇らない」と言うのです。つまり、神の働きが私を通って流れたとき、それがすべてだ、と。 わたしも、能登や富山での支援や小さな奉仕をしていると、 「どれだけの人が救われただろう」「意味があったのだろうか」と思う瞬間があります。 「彼のことを告げられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟る。」 (ローマ人への手紙15章21節) この言葉は、私たちの力を超えて働く神の約束のように響きます。 見えないところで、人知れず、心が動かされ、希望の灯がともる。 そのすべてが、神の愛の“しるし”なのだと思います。 

わたしはこれからも、小さな場であっても、キリストにあって誇りを持ち、静かに仕えます。語らずとも、行いのうちに福音が香るように。 そしていつの日か、誰かの目に「愛のしるし」が映るとき、確かにそれが神ご自身の働きだったと気づけるように。

                                A.M.姉

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