『 御言葉で変えられた私 』
イザヤ 40章7~8節
9月は教会学校月間なので、私に教会学校の証しをと今回の機会が与えられました。 現在、教会学校は礼拝前に約30分間の短い時間ですが、聖書の御言葉を学んでおります。教会学校は年齢層別に小学科、中高科、成人科(2グループ)に分かれて実施されており、私は成人科2グループのうちの1グループの奉仕を務めております。 時には成人科は1、2グループ合同で行うこともあります。しかし残念ながら参加人数はあまり多くありません。 教会学校は聖書の学びの入り口ですから、多くの方の参加を切望します。
私は長らく教会を離れていた時がありました。その時は恥ずかしながら、自己破産寸前の厳しい経済状況に陥っていました。また悪いことに体に前立腺癌が発見され、当時は癌といえば死を連想させるもので大変なショックを受けました。その時は心の中で“神様助けて~”と叫んでいました。そのような状況下で私は何か心の支えになるものを求めておりました。その時、旧約聖書で見つけた神の御言葉は、「草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、私たちの神の言葉はとこしえに立つ。(イザヤ40:7-8)」 この御言葉は、私たちの目の前にある見えるものはやがては消えていくものですが、永遠の神、その神から与えられた愛の言葉、約束と希望の言葉は決して消えないものであり、それは神の永遠の命が働いているからであると分かりました。 この御言葉に刺激を受けて、私は心の支えを持つ者に変えられたのです。さらに、御子であるイエス様が、私たちの罪の贖いのために十字架にかかり、血潮を流して死んで下さいました。そのお陰で私たちの罪が赦され、神様との正しい関係を持つことができました。 また、イエス様が三日目に復活され、私たちに永遠の命を与えて下さいました。この事実をしっかり心に受け入れて救われた私たちクリスチャンとして、改めて今、生かされていることを確信するものとなりました。
今や人生百年時代とも言われますが、長い人生の間には多くの試練がありますが、神様は耐えられない試練は与えられないと信じております。御言葉は人生の歩むべき道を教え、正しく導いて下さいますから、御言葉を学ぶことは大変大切です。 私は御言葉を学ぶために現在も火曜日の聖書の学びに参加しております。ここで少し火曜日の聖書の学びについて触れますが、この学びは聖書全体に亘り、 先生がわかりやすい説明文を作ってくださり、聖書の本文を読んだ後にその説明文で詳しくかつわかりやすく説明してくださるので、格段に聖書理解を深めることができます。ぜひ多くの方が参加くださるように希望します。
最後になりますが、私はいつも苦しく困難な時には、「困難は忍耐を、忍耐は連達を、連達は希望を生む」という御言葉を自分に言い聞かせ、 またイエス様だったらどうされるかなぁと考えながら、これからも御言葉に生きる従順な人生を、教会生活を皆さんと聖霊様の助けと導きを受けながら送りたいと思っています。
I.H.兄
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